株式投資信託
株式の組入れが可能な投資信託のことです。株式組入れ限度については信託約款で定められてます。
株式投資信託には株式組入れ制限を設けないタイプものから一定限度におさえたものまで、投資信託の運用目標により様々です。株式組入れ限度については目論見書に説明されています。(参照:公社債投資信託)
オンラインゲーム、洛陽の西門の下に杜子春という若者が一人佇んでいた。彼は元々金持の息子だったが、財産を使いすぎたために今は惨めな生活になっていた。
杜子春はその門の下で片眼すがめの不思議な老人に出会い、大金持ちにしてもらう。しかし、杜子春は財産を浪費し、3年後には一文無しになってしまう。杜子春はまた西門の下で老人に出会って大金持ちにしてもらい、同じことを繰り返す。
ネットキャッシング、西門の下に来た杜子春は変わっていた。金持ちになったときには友達も寄ってくるが、貧乏になるとみな離れていく、杜子春は人間というものに愛想を尽かしていた。杜子春は老人が仙人であることを見破り、仙術を教えてほしいと懇願する。そこで老人は自分が鉄冠子(三国志演義などに登場する左慈の号)という仙人であることを明かし、自分の住むという峨眉山へ連れて行く。
峨眉山の頂上に一人残された杜子春は試練を受ける。鉄冠子が帰ってくるまで口をきいてはならないので、どんな恐ろしい目にあっても無言でじっと耐える。地獄に落とされても杜子春は一言も言わなかった。怒った閻魔大王が、畜生道に落ちた杜子春の両親を連れて来させて鬼たちにめった打ちにさせるが、苦しみながらも杜子春を思う母親の心を知って、彼は耐え切れず「お母さん!」と一声、叫んでしまった。
仕事と同時に杜子春は現実に戻される。洛陽の門の下、春の日暮れ、すべては仙人が見せていた幻だった。これからは人間らしい暮らしをすると言う杜子春に、仙人は泰山の麓にある一軒の家と畑を与えて去った。
成立年は明らかにされていない。原本は現存せず、最古の写本は天正年間(安土桃山時代)のものである。しかし、10世紀の『大和物語』、『うつほ物語』や11世紀の『栄花物語』、『狭衣物語』などに『竹取物語』への言及が見られ、また『源氏物語』「絵合」巻に「物語の出で来はじめの祖なる竹取の翁」とあることから、遅くとも10世紀半ばまでに成立したと考えられている。通説は、平安時代前期の貞観年間 - 延喜年間、特に890年代後半に書かれたとする。元々、口承説話として伝えられたものが『後漢書』や『白氏文集』など漢籍の影響を受けて一旦は漢文の形で完成されたが、後に平仮名で書き改められたと考えられている。
またこの説話に関連あるものとして『丹後国風土記』、『万葉集』巻十六、『今昔物語集』などの文献、謡曲「羽衣」、昔話「天人女房」、「絵姿女房」、「竹伐爺」、「鳥呑み爺」などが挙げられる。当時の竹取説話群を元にとある人物が創作したものと思われる。
履歴書についても不詳である。作者像として、当時の識字率から庶民は考えられず上流階級に属しており、貴族の情報が入手できる平安京近隣に居住し、物語内容に反体制的な要素が認められることから、当時権力を握っていた藤原氏の係累ではなく、漢学・仏教・民間伝承に精通し、仮名文字を操ることができ、和歌の才能もあり、貴重だった紙の入手も可能な人物で性別は男性だったのではないかと推定されている。以上をふまえ、源順、源融、遍昭、紀貫之、紀長谷雄などの作者説が唱えられているが、いずれも決め手に欠けている。
原作の「杜子春伝」では、杜子春は地獄に落ちた後、女に生まれ変わって誕生するが、やはり全く物を言わず、結婚して子を産んでも喜びの声一つ発しなかったため、怒った夫が赤ん坊を叩き殺し、そこで妻(杜子春)が悲鳴を上げたところで現実に戻り、仙人は声を出さなかったら仙薬ができ仙人になれたのに、と言って突き放す。芥川は、親が地獄の責め苦を受ける場面に変えて、「あの時もし声を出さなかったら、お前を殺していた」と仙人に言わせ、児童向けの内容にすると共により人間味を前面に出した物語にしているが、反面、多少の教訓臭が感じられないでもない。
今は昔、竹を取り様々な用途に使い暮らしていた竹取の翁(おきな)とその妻の嫗(おうな)がいた。ある日、翁が竹林に出かけていくと、光り輝いている竹があった。不思議に思って近寄ってみると、中から三寸ほどの可愛らしい女の子が出てきたので、自分たちの子供として育てることにした。その後、竹の中に金を見つける日が続き、翁の夫婦は豊かになっていった。翁が見つけた子供はどんどん大きくなり、三ヶ月ほどで年頃の娘になった。この世のものとは思えないほど美しくなった娘に、人を呼んで名前をつけることになった。呼ばれてきた人は「なよ竹のかぐや姫」と名づけた。この時、男女を問わず人を集めて、三日に渡り祝宴をした。
幼子を見つける竹取の翁(土佐広通、土佐広澄・画)世間の男たちは、高貴な人も下層の人も皆なんとかしてかぐや姫と結婚したいと思った。その姿を覗き見ようと竹取の翁の家の周りをうろつく公達は後を絶たず、彼らは竹取の翁の家の周りで過ごしていた。そのうちに熱意のないものは来なくなっていった。最後に残ったのは好色といわれる五人の公達で、彼らは諦めず夜昼となく通ってきた。五人の公達は、石作皇子、車持皇子、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂といった。
彼らが諦めそうにないのを見て、翁がかぐや姫に「女は男と結婚するものだ。お前も彼らの中から選びなさい」というと、かぐや姫は「なぜ結婚などしなければならないの」と嫌がるが、「『私の言うものを持ってくることができた人と結婚したいと思います』と彼らに伝えてください」と言った。夜になると、例の5人が集まって来た。翁は5人の公達を集め、かぐや姫の意思を伝えた。
その意思とは石作皇子には仏の御石の鉢、車持皇子には蓬莱の玉の枝、右大臣阿倍御主人には火鼠の裘、大納言大伴御行には龍の首の珠、中納言石上麻呂には燕の子安貝を持ってこさせるというものだった。どれも話にしか聞かない珍しい宝ばかりで、手に入れるのは困難だった。
石作は只の鉢を持っていってばれ、車持は偽物をわざわざ作ったが職人がやってきてばれ、阿倍はそれは燃えない物とされていたのに燃えて別物、大伴は嵐に遭って諦め、石上は大炊寮の大八洲という名の大釜が据えてある小屋の屋根に上って取ろうとして腰を打ち、断命。結局誰一人として成功しなかった。
そんな様が帝(みかど)に伝わり、姫に会いたがった。喜ぶ翁の取りなしにも関わらず彼女はあくまで拒否を貫くが、不意をついて訪ねてきた帝に姿を見られてしまう。しかし、一瞬のうちに姿を消して地上の人間でないところを見せ、結局帝をも諦めさせた。しかし、彼と和歌の交換はするようになった。
月へ帰って行くかぐや姫(同上)帝と和歌を遣り取りするようになって三年の月日が経った頃、かぐや姫は月を見て物思いに耽るようになった。八月の満月が近づくにつれ、かぐや姫は激しく泣くようになり、翁が問うと「自分はこの国の人ではなく月の都の人であり、十五日に帰らねばならぬ」という。それを帝が知り、翁の意を受けて、勇ましい軍勢を送ることとなった。
そして当日、子の刻頃、空から天人が降りてきたが、軍勢も翁も嫗も戦意を喪失し抵抗できないまま、かぐや姫は月へ帰っていく。別れの時、かぐや姫は帝に不死の薬と天の羽衣、帝を慕う心を綴った文を贈った。しかし帝は「かぐや姫のいないこの世で不老不死を得ても意味が無い」と、それを駿河国の日本で一番高い山で焼くように命じた。それからその山は「不死の山」(後の富士山)と呼ばれ、また、その山からは常に煙が上がるようになった。